わが国は同じことを繰り返す社会のようだ。
昭和にみた景色が、今も広がる。
企業しかり、政治しかりだ。
私は変えることに挑戦したのだが、多くの人は買えることに夢
中になってきたようだ。
だからだろう、企業社会の一員のほうが大事であり、昭和のよ
うに成長を享受できた社会の一員でありたいのだろう、と想像
している。
その結果が今なのだ。
個人<会社、個人<社会が優先されてきたのではないだろうか。
私、私になりに抵抗してきた。
抵抗は、幼い小学生時代からはじまった。
人間とは、比較的単純な生き物だ、と体得したようだ。
そんな批判をする私は、父の仕事を嫌がり、資産という面から
みても人間的な面においても、父を超えることはできなかった。
同じレベルでやってきたことは、現場で真面目に働く人を大切
にすることくらいだろう。
ほぼ父親を超えることができなかった。
父と母は、自分を変えようと奮闘していたのが、瞼のなかにそ
の姿が焼き付いている。
私はいい加減な人間だったのだが、人生でただひとつ夢がかな
えられたのは、ソニー子会社に採用されたことだろう。
真面目に仕事をすることを、当時の社長から学ぶことができた
からだ。
もちろん、私が在籍した時代のソニーは、2兆円規模の大企業
だったのだが、私が在籍した子会社は、1200社目くらいに
できた極めて弱小集団だった。
だが、それがよかった。
当時の社長は、定年まじかだったのだが、ソニー創業時(東京
通信工業)に入社され井深さんや盛田さんと仕事をされてこら
れ、勤労部で直接お世話になった方が樋口晃さんだったからだ。
真面目で金もなく、人材がいない時代のソニーのなかで仕事を
重ねてこられた方だった。
とにかく、私の理想郷だった。
良い職場の原型のなかで仕事をさせてもらったことは、最高に
運がよかった、と今でも思っている。
私が道をそれそうになっても、なんとか真面目に生きてこれた
のは、当時の社長と長い付き合いがあったからだ。
ソニー子会社を辞めてからも長く付き合いをさせてもらった。
この会社は、同じことを繰り返さない会社だった。
新たなことに挑戦する人間を好んで抜擢した。
プロパー社員でも、私のように外部からきた人間でも挑戦する
姿勢がある人間に場が与えられた。
私が生きてきた日本社会とは、まったく違う世界があった。
30年以上前の話だが、変わることを重んじるマネジメントだ
った。
多くの社員が、新たなものに挑戦した。
金もなく、人材もいなかったのだが、挑戦する息吹だけが漲っ
ていた。
毎年、会社は変わり、人間たちも変わっていった。
変わるということは、制度や組織が変わり、そこで仕事を動か
す人間たちも変わっていくことだ。
今の変わらない社会をみているよりも、人間たちは生き生きと
していた。
私は、そもそも組織に居続けるタイプではない。
自分の居場所は、自分で決めてきた。
たとえ、買えるものが少なくなってもだ。
組織を変えていくとに挑戦してきた。
楽しい人生だった。
そして今も楽しい。
まだ、あきらめず変えていくことに挑戦しているからだ。