私のような人間嫌いでも、仕事は多くはないが、人間によって
教えられ育まれて、今日にいたっている。
もちろん、私自身に学ぶ姿勢もあった。
私を育ててくれた人たちがいなかったら、私の人生そのものが
なかっただろう。
私は、教えを乞う人間を自分で選別してきた。
自分のためにならない人とは、なるべくかかわらないようにした。
もっとも、他人を見る目がなく、大失敗もやらかした。
生きていくとは、なかなかむずかしいものだ。
私に言わせれば生きていくための嗅覚のようなものなのだが、鼻
が効くとききと、効かないときがあった。
私の弱さにつけこまれた。
私自身の責任だ。
人生勉強だったのだろう。
AIの発達によって人間社会の構成が変わろうとしている今、なに
か不自然なものを、私は感じていた。
人が育つ環境は、どうなっていくのだろう、という疑問、あるい
は懸念だ。
定型業務はAIに向くことはよくわかるのだが、人間はそのような
定型業務や雑用などをすることなく育っていくのだろか、という
心配だった。
そんなことを考えていると、次の記事に出会った。
『これは、MITのデジタル経済イニシアチブを共同で率いる研究
科学者、アンドリュー・マカフィー氏の警告だ。マカフィー氏は、
人材の供給源を断つことは、現在の労働力を縮小させるだけでな
く、未来のリーダーを育成するパイプラインを阻害すると主張す
る。
「実地研修や見習い制度以外で、人々はどうやって仕事を学ぶの
でしょうか?」とマカフィー氏は4月、ハーバード・ビジネス・
レビュー誌に語った。「難しい知的労働というのは、その仕事が
得意な人の雑用を手伝うことで身につくものです。自動化を急激
に進めすぎると、見習い制度という道筋が失われてしまいます」。
その影響は、人材育成のギャップにとどまらない。エントリーレ
ベル人材の採用を控えることで、企業は、Z世代が持つAIを使い
こなす能力という重要な競争優位性を失うリスクを負うことにな
る』
マサチューセッツ工科大・AI専門家が警告「エントリーレベルの
Z世代の人材を軽視すると……」 | スマートニュース![]()
どうもAIの発達で定型業務や雑用をしなくなると、人間育つ環境
がなくなっていくようだ。
AIと人間の違いは、AIは過去問を解く正確性であり、人間は未来
をみながら挑戦していける存在だ。
人間は、雑然としたもののなかから、ある意味を見出していくこ
とができるのだが、AIは学習、すなわち答えがあるものから学ん
でいるだけだ。
AIの正確性とは、既知の事実を学び答えを出すことだ。
間違った答えも、そのまま学習すれば、同様に正確に答える。
正確性とは、正解ではない。
人間が育つプロセスは複雑系だ。
いたるところで相転移を起こす。
未知なるものの答え(想像)は、人間の数だけあるだろう。
未知なるものを発見するベースには、雑用などの無駄だと思われ
ている行動が必要になるのではないだろうか。
いわゆる「無駄の効用」だ。
雑用ばかりやってきた私には、雑用をベースに自分の考え方を発
展させてきた時間がある。
先輩の話を聞き、議論をふっかけ、自分が納得できる解を追い求
めていた。
今も追い求めている。
今、先輩などはいないのだが、AIを相棒に自分の考え方をぶつけ
ている。
しかし、AIとのやりとりや議論は、常に狭い感じがする。
AIは、抽象性やファジーな感じがない。
必ずなんらかの答えをもってくる感じだ。
それでも参考になる視点はある。
それを自分の視点から見直して考えてみることは可能だ。
ただし、子供が、これをやるとAIに主導権を取られそうな気がす
る。
理由は、子供たちには、良い意味でも悪い意味でも自分の視点が
ないために、AIが出した答えに逆らうことができないような気が
するからだ。
私のように社会で無駄飯ばかりを食ってきた人間は、AIが出した
答えに、なんどもいちゃもんをつける。
これはこれで結構楽しいのだが、こればかりやっていると、いわ
ば堂々巡りに陥る。
今、企業は若い人間を採用し、雑用から鍛えようとしているらし
い。
このプロセスがないと管理職にはなれないらしい。
人間系の疑問だから、私は漠然と自分の経験を通してそう思って
いるだけだが、MITの考え方を、素直に受け入れることができ
る。
無駄飯の効用かもわからない。