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転職

転職のトレーニングをさせてもらった会社

ソニー子会社時代、師となる元社長が定年退職され、私は次の
行き先を探ることにした。
その前に転職のトレーニングだ。
新聞だったか、求人誌だったかは忘れたのだが、トレーニング
できそうな会社を見つけた。
「技研製作所」という高知の会社だった。
当時、聖路加タワー内に東京支店があった。

面接は、聖路加タワーでおこなわれた。
会社説明会に多くの人たちが参加していた。
この人数では、面接まで行き着くかどうかわからなかったのだ
が、応募書類を提出して、その日は帰宅した。

運よく面接試験へ進むことができたので、聖路加タワーにあっ
た東京支店へ足を運んだ。
面接試験へ現れたのは、当時社長をされていた北村 精男氏(創
業者)と常務取締役の二人だった。
二人目は常務だったかどうかは記憶が曖昧だが、役員だったこ
とは間違いない。

当時の業績は、100億円弱だったように思うのだが、利益率
が非常に高い会社だった。
サイレントパイラーという優れた製品をもっていた。
すでに上場しており、このときは東証二部だったのだが、202
2年東証プライムへ移行している。
直近の売上高は約260億円になっており、利益率は、当時のよ
うに高くない。
国内市場の低迷が大きく影響しているようだ。

私にとって、この会社の面接は管理部門への転職のためのトレ
ーニングだったのだが、まさか創業者が現れるとは思っていな
かった。
私は、創業者へ自分の考えを述べた。
印象に残っていることがある。
約30年前の話だということは明確にしておきたい。
創業者は、高知へ来れるか、と私に聞いてきたので、現時点で
いくつもりはありません、と私は返答した。
すると何を思ったのか創業者は「女房が怖いのだろう」と言い
放った。
私は、この言葉に唖然とした。
本来、遊び心があれば、女房は怖いからね。
君のところはどう、くらいの話にしておかなければならないの
だが、遊び心がない言葉使いだった。
厳しい言葉になるが、所詮、高知のワンマン社長ということか、
中身がない質問と態度だった。

あまりよろしくないことではあるのだが、私は、妻に転職の話
を事前にすることはない。
妻は、私が会社へいかなくなって退職を知る。
はじめは怒っていたのだが、転職を繰り返す私にあきれたのか、
何も言わなくなった。
創業者は、遊び心があれば、人というものをもう少し知れたの
かもわからない。
遊び心は大切だ。

また、私が、東京で8時半出社は早すぎませんか、と聞くと、
全社員きちんと出社している、と役員が話した。
私は面接官の様子をみるために、この質問をしたのだが、その
態度は横柄そのものだった。
ソニー子会社時代の考え方や態度とは、かなり相違いがあった。
私のトレーニングのためとはいえ、転職は、なかなか厳しい世
の中が待っていることを暗示していた。
実際、悪い予想は当たるものだ。
中小企業の経営者の姿勢は、この方に限ったことではなかった。

この会社の経営状態を、たまにみることがあったのだが、あま
り業績は伸びていなかった。
私が言うのは失礼だろうが、あえて言わせていただく。
昨年、この会社は、84歳になった名誉会長の北村精男氏が代表
取締役会長に復帰する役員人事を決定した。
この年齢で再登板しなければならないくらい経営の足腰は弱っ
ているのだろうか、私は、創業者の姿勢(生き方)が経営の足
を引っ張ってきた、と考えている。
社風は、ソニー子会社と真逆だった、と想像している。

ここには書かないが、東京における事業では、私が危惧した問
題を起こした。
今、聖路加タワーに東京支店はない。
現在、東京本社と高知本社の二本社制をとっている。
現在の業績に創業者はじっとしておれなかったのではないだろ
うか。
人間とはむずかしい生き物だ、と創業者との出会いを思い出し
ながらつくづくそう感じた。

採用結果は、当たり前だが、見事に不合格だった。
採用されてもいく気がなかったので、それでよい。
転職時の学びをさせてもらったのだから、私にとっては貴重な
体験だった。
その後続いた転職の旅は、私にとって、まさにソニーという会
社の偉大さを証明していく旅そのものになった。
日本の企業社会の現状だ。
息子たちに転職を勧めない理由がここにある。
国力が落ちてきた、それはそうだろう。
悪い意味で昭和の意識を引きずる人間が多く、変わることを恐
れる社会は衰退していくほかない。

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