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競争

競争は苦手なのだが、社会には競争が必要なのだろうか

私は競争が苦手なタイプなのだが、社会には競争が必要なのだ
ろうか、と思ってしまう。
私自身は協調しながら仕事を進めていくタイプなので革新的な
ことはできない、と感じていた。
しかし、管理部門の仕事においては、上司や他部門の人たちと
連携しながら革新的なことをやってきた。
革新的といっても日常業務を丁寧に進めていくなかで気づいた
ことが中心だった。
なにもむずかしいことをやってきたわけではない。
現状に少しだけ工夫を凝らしていくだけだ。

今日の日本経済新聞には『米テキサス州ヒューストン。宇宙フ
ァンの聖地、米航空宇宙局(NASA)の敷地に足を踏み入れる
と少々意外な光景に出合う。

最初に来訪者の目に入るのは、アポロでもスペースシャトルで
もない。スペースXのロケット「ファルコン9」のブースターだ。

スペースXは米国の官民連携の代表例として知られる。「NASA
の巨額の政府調達がスタートアップの奇跡の成功を生んだ」と
いうナラティブが有名だ。しかしNASAの記録をひもとけば、
別の物語が浮かび上がる』という記事(一部抜粋)がでていた。

記事の続きだ。
『2006年、NASAは静かな危機の中にあった。スペースシャト
ルの空中分解事故から3年がたちシャトルの退役が決まったが、
後継計画は一向に進まなかった。

当時、ボーイングやロッキード・マーチンなど巨大企業との連
携は機能不全に陥っていた。納期は遅れる。費用は膨らむ。国
際宇宙ステーション(ISS)への補給をロシアに依存する屈辱
が目前に迫っていた。「もっと早く」「もっと安く」。関係者の
こんな発言が記録に繰り返し登場する。

そして当時の常識では「危険な案」が持ち上がる。企業へ一括
で資金を渡さない。成果のマイルストーンを置き、達成すれば
一定額を渡す。追加予算は認めず、達成できなければ切り捨て
る。複数企業を競わせる――。NASAの案には内部や議会から
懐疑の声があがったが、引く余裕はなかった』

こんななかでスペースXが、背水の陣で「再利用可能」という
画期的なロケットの開発に成功し、宇宙開発の勢力図を書き換
えた。
何度失敗したことだろう。
その失敗を乗り越えて新たなロケットは開発された。
スペースXは、競争社会のありようを、私たちにみせつけてい
る。

ロケットだけではない。
AIも同様だ。
強烈な競争社会のなかからAIは進化している。
わが国をみていると、競争社会から程遠いのかもわからない。
私には心地よくても、どうも競争がない社会では、そもそも社
会は成長発展していかないようだ。
中国や韓国も競争社会だ。
大学の入試に、その姿は現れている。
アップ・オア・アウトの環境がある。

私は、私自身でアップ・オア・アウトしてきたのだが、まぁ、
たまにアップ・オア・アウトされる側だったのだが。
日本社会は、長い間集団的な雇用を維持しながら、グローバル
社会との競争に勝ってきた。
ところが、今の時代、多くの産業で他国の企業に追われる立場
になってきた。
昭和を世界で戦ってきたわが国企業の地位は、現在、グローバ
ル社会における優位性など、すでに遠い昔の話になった。

昭和は、多くの企業が世界で競争していた。
同業他社との競争は当たり前だったし、営業をしていた私でさ
へ毎月販売目標を超える売上を上げることが普通だった。
そうしなければ、私のポジションを維持することができなかっ
たからだ。
競争が苦手な私には、営業職は苦痛そのものだった。
付加価値がない薄利多売の商売が多かったのだが、多くの企業
では、賃金を上げていくだけの利益を出していた。
毎期、前年対比アップの世界があった。

そんな競争社会は、いつからかコスト削減と利益確保が優先さ
れるビジネス社会になってきた。
競争が激しくないかわりに、人員削減や非正規社員の活用など、
コストを意識した経営が平成、令和と長く続いた。
この30年は、国内競争は少なくなっていたのだが、その分、
企業は挑戦的なビジネスに打ってでることも少なくなったので
はないだろうか。

競争がない社会は、グローバル社会からも取り残されていく。
米国がすごいのは、生死を賭けた猛烈な競争社会だからこそ、
企業が社会の成長を支えていく力になっていることだ。
国力が上がるということは、独自性を有する企業が競争を通し
て増えていくことからしか成り立たないのだろう。

私には苦手な社会だが、国力が上がる社会とは自由な競争があ
る社会ということになるようだ。
日本は、今、岐路に立っている。
競争社会で発展していくのか、またそれ以外の別な方法で国力
を上げていくことができるかどうかだ。
現状は、競争社会でグローバル社会のなかで活躍するよりは、
その辺縁で独自性を発揮しながら自国の力をつけていくほうが
よい、と私は勝手に思っている。

米国のような競争社会になることは、わが国の文化からして無
理筋な話ではないだろうか、と、まぁ、私は競争が嫌いなので、
こんなことを書いているだけだ。
脇役といっては変だが、主役で稼ぐよりは、脇役で稼ぐ姿のほ
うが日本らしい、と思っているのだが、それは私だけだろうか。
とくに中小企業は、脇役に徹することで世界を目指すべきだろ
う。
主役になれば、その競争のレベルは格段に上がっていく。
脇役であれば、中小企業でも自社の独自性をみつけることが可
能となるからだ。

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